WelCome You 待合室の雑誌と時計:手持ち無沙汰の経済 – WaitingGeometry
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待合室の雑誌と時計:手持ち無沙汰の経済

要点

  • 待合室の雑誌や水槽、テレビは、待ち時間を埋めて体感を短くするための古典的な装置である。
  • 何かに気を取られている待ちは、何もしていない待ちより短く感じられる。
  • 一方で、スマートフォンの普及により、待ち時間を埋める役割は施設側から個人の手元へ移りつつある。
  • それでも、施設が「すること」を用意する意味は、退屈の解消だけでなく、待たされている人への配慮の表明にある。

「この雑誌、いつのだろう」と、歯科医院の待合室で古びた雑誌をめくりながら思ったことはないだろうか。なぜ待合室にはたいてい雑誌が置いてあるのか。そんな素朴な疑問から、待つことの設計を考えてみたい。以下は、その問いを一人で転がしてみた記録のようなものだ。

問い。待合室の雑誌は、何のためにあるのか。
答え。退屈をしのぐため。これは誰でも思いつく。だが話はもう少し続く。

「すること」があると、なぜ時間は縮むのか

デイヴィッド・メイスターは、待ち時間の体感を決める要因の一つに「占有された時間か、占有されていない時間か」を挙げた。何かに気を取られている時間は短く感じ、ただ待つだけの空白の時間は長く感じる。雑誌も、壁掛けのテレビも、ロビーの水槽も、要するにこの空白を埋める装置だ。視線と注意を引き受けてくれるものがあれば、同じ十五分が体感では半分になる。

問い。では、内容は何でもいいのか。
答え。おそらく、ほぼ何でもいい。重要なのは情報の質ではなく、注意を預けられるかどうかだ。だから待合室の雑誌が古くても、効果はそれなりに保たれる。読み込むためではなく、視線の置き場所として機能しているからだ。

埋める役割は、どこへ移ったか

ところが、この風景はこの十数年で大きく変わった。スマートフォンである。いまや多くの人が、待合室に入った瞬間に手元の画面へ視線を落とす。施設が用意する雑誌やテレビは、もはや唯一の「すること」ではない。待ち時間を埋める機能は、施設側から個人の手のひらへ移った。

問い。なら、施設はもう雑誌を置く必要がないのでは。
答え。効率だけを見ればそうかもしれない。しかし、ここで立ち止まりたい。施設が「すること」を用意する行為には、退屈の解消とは別の意味がある。それは、待たせていることを承知していますという無言の合図だ。何の配慮もない殺風景な待合室は、たとえ待ち時間が同じでも、客に「ぞんざいに扱われている」という印象を与える。雑誌や観葉植物は、待たせることへの一種の詫びとして置かれている面がある。

退屈の解消を超えて

裏を返せば、待合空間のもてなしは、機能では測りきれない。スマートフォンがあれば退屈はしのげる。それでも、座り心地のよい椅子、手の届く位置の水、ちょうどいい温度の空気は、待つ人への敬意として効いてくる。待ち時間を埋めることと、待つ人を尊重することは、重なりつつも同じではない。

問い。結局、待合室の雑誌は何のためにあるのか。
答え。半分は退屈をしのぐため、もう半分は、あなたを待たせていることを忘れていません、という合図のため。スマートフォンが前者を肩代わりした今、残された後者の意味のほうが、むしろ際立って見える。待つ場所の居心地という主題は、病院の待合室の設計とも深くつながっている。

参考・出典

  1. David H. Maister, “The Psychology of Waiting Lines,” 1985.
  2. Donald A. Norman, “The Design of Everyday Things,” 1988/2013.(待ち体験と配慮の設計に関する一般的議論として)

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